本当の自分は、現れるのか消えるのか
【マインドフルネス】本当の自分は、現れるのか消えるのか
執着を手放したとき、そこに「本当の自分」が現れるのか。それとも、「本当の自分」を探す必要そのものが消えるのか。
気づいたこと
自分の内側にあるものを、層で並べてみた。
本能は「生きたい・避けたい」。 感性は「好き・嫌い・感じる」。 理性は「どうすればいいのか」。
ここで引っかかったのは、理性の限界だった。 理性は目的を達成する方法を考えるのは得意でも、そもそも何を目的にするかを決めるのは得意ではない。 「年収が高いほうが合理的」でも、「でも本当は自由に生きたい」ということがあり得る。
魂を、その人が何を大切にして生きたいのかという深い方向性として置いてみた。 「何が好きか」よりも一段深いところにある問い。
いちばん整理できたのは、本音と執着の違いだった。 どちらも自分の内側から出てくるので、混同しやすい。
本音は「本当はこうしたい」という方向。 執着は「こうでなければ」という固定化。 本音は方向を示すが、執着はそれ以外を許さない方向に働く。
欲求そのものが問題なのではなかった。 「それがなければダメだ」という固定化のほうが、苦しみを生む。
思考抑制の逆説も見えた。 「考えないようにしよう」とするには、考えていないかを監視しなければならない。 監視するために思い出してしまう。消そうとする行為が、注意を維持してしまう。
仏教的な観察は、その逆を向いていた。 生じたものを消そうとするのではなく、生じて、変化して、消えていくものとして見る。
そして最後に、二つの方向がはっきり分かれた。 執着を手放して本音が見え、深い価値観が見え、自分らしく生きるという方向。 執着を手放して思考も現象として観察し、「これが私だ」と掴まなくなるという方向。
前者は「真我」を探しに行く。後者は「無我」に行き着く。 同じ入口から入って、逆の方向へ抜けていく。
まとまったこと
- 本能「生きたい・避けたい」/感性「好き・嫌い」/理性「どうすればいいか」は、別の層
- 理性は方法を考えるのに強いが、目的そのものを決めるのは得意ではない
- 本音は「方向」、執着は「それ以外を許さない固定化」。混同しやすいが性質が違う
- 苦しみを生むのは欲求そのものではなく、「これがなければダメだ」という固定化
- 「考えないようにする」ことは、その思考への注意を維持してしまう
- 悟りは思考や感情が無くなることではなく、それにしがみつかなくなること
- ニルヴァーナは死後に行く場所ではなく、苦を生み出していた心の仕組みが止むこと
まだ言葉になっていないこと
- 執着を手放したとき、「本当の自分」が現れるのか、探す必要そのものが消えるのか
- 「真我」と「無我」は、どこで決定的に分かれるのか
- 自分らしく生きることと、執着から自由になることは両立するのか
- 「欲望をなくす」ではなく「欲望に支配されない」と捉えると、何がどう変わるのか
- 同じことを繰り返し考えることと、強迫とを分けるものは何か
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元の対話
- 真我・魂・本能・感性・理性・本音・執着・悟り・ニルヴァーナ