いかに楽しむかが勝負
【人生観】いかに楽しむかが勝負
いくら悩んでも、それ自体には何のメリットもない。だったら、いかに楽しむかが勝負だよ。
気づいたこと
自分には「努力している」という感覚がほとんどないと気づいた。 世間でいう「努力」には、無理をする・我慢する・つらくても頑張るという響きがある。 でも自分の場合は、やりたいこと、ワクワクすることをやっている感覚に近かった。
大変なことに出会ったときは、「これはどう攻略しようか」と捉え直していた。 困難そのものをなくすのではなく、意味づけの方を変えていた。 少し自分を俯瞰して、「今こういうゲームをやっているんだな」と見るようにしていた。
最初からこの考え方だったわけではない。 以前は「つらいな」「頑張らないといけないな」と感じることもあった。 それがいつの間にか、「どうせやるなら楽しもう」という方向に変わっていった。
楽しみながら取り組んだ方が、我慢して続けるより新しい発想が出やすいと感じていた。 楽しむ、没頭する、発想が生まれる、試行錯誤する、成長する、成果が出る。 そういう循環が起きているように思えた。
「楽しむ」は何もせず楽をすることではないとも思った。 不必要な苦痛はできるだけ減らす、という考え方に近い。 将来つらくなると分かっているなら、先に準備しておく。 今を楽しむことと、未来を考えることは両立すると感じた。
「何のために生きているのか」を考えたとき、「楽しむために生きている」というところに行き着いた。 どれだけ苦労したかではなく、どれだけ楽しめたかで人生を捉えたいと思った。
まとまったこと
- 努力を努力としてやらない。「やりたい」「面白い」に変換できれば、努力は努力でなくなる
- 困難にぶつかったら「これは本当にやるべきことか」「どうすればもっと楽しくできるか」「今回の攻略条件は何か」と自分に問う
- 「努力できる人」より、「努力が必要なことすら楽しめる状態を作れる人」の方が強いのかもしれない
- 不必要な苦痛を減らすことと、今を楽しむことは矛盾しない
まだ言葉になっていないこと
- 楽しめない状況や楽しめない相手にぶつかったとき、この考え方はどこまで通用するのか
- 「ワクワク」は意図的に作り出せるものなのか、それとも結果的に生まれるものなのか
関連ノート
- 【マインドフルネス】欲を否定せず、支配されない — 「もっと」を求める気持ちを否定せず付き合うという点で近い
元の対話
- 努力しない生き方と「楽しむ力」