外にいるのではなく、内側にいた
【量子力学】外にいるのではなく、内側にいた
観測とは、宇宙の外から世界を見ることではなく、宇宙の一部分が別の部分から情報を取得する物理過程。
気づいたこと
もつれは、粒子と粒子をつなぐ見えない糸のようなものではなく、全体の量子状態が一つとして記述されていて分離できない、という状態の関係なのだと理解し直した。 粒子を遠くに離しても、環境からうまく隔離されていれば、もつれ自体は距離に関係なく維持され得る。 ただし、もつれを使って光速を超えてメッセージを送ることはできない。相関が強く出るだけで、情報を自由に操作して伝えることにはならない。
相互作用を通じて、もつれはA↔BからA↔B↔Cというようにより大きな系へ広がっていくことがあると気づいた。 一方で、宇宙のすべての粒子がすべての粒子と強くもつれているわけではなく、もつれには程度や構造があるのだと理解した。 身の回りの物質も環境と絶えず相互作用しているため、量子的な相関は複雑に形成され得るが、巨視的な物体ではデコヒーレンスが非常に強く、局所的な量子干渉はすぐに失われる。
そこから、机のような物体を、構成する原子そのものというより、物質・エネルギー・情報がつくる安定したパターンとして捉えられるのではないかと考えた。 海の波が特定の水分子そのものではなく、多数の水分子の運動が生むパターンであるのと似ていると感じた。 AとBという部分系の境界は、宇宙に絶対的な線として刻まれているとは限らないが、まったくの幻想でもなく、物理的に意味のある構造として存在しているのだと理解した。
宇宙全体を一つの量子状態として考えたとき、「私」という観測者は宇宙の外側にいるのではなく、宇宙の中で形成された非常に複雑な物理・情報処理システムなのだと気づいた。 観測とは、宇宙の外から世界を見ることではなく、宇宙の一部分が別の部分から情報を取得する物理過程なのだと捉え直した。 時間についても、外部から与えられた前提としてではなく、物理系の状態変化や関係性から現れてくるものかもしれないという考え方があることを知った。ただし、これはまだ確定した結論ではない。
最終的に、宇宙全体が一つの量子状態だとしたら、自分・他者・物体・世界として区別しているものは、環境との相互作用と情報の拡散によって安定した「現実」として現れているパターンなのではないか、という問いにたどり着いた。
まとまったこと
- もつれは距離の問題ではなく、量子状態が分離可能かどうかの問題
- もつれを使って光速を超えて情報を送ることはできない
- もつれは相互作用を通じてより大きな系へ広がり得るが、「すべてがすべてともつれている」わけではない
- 物体は構成粒子そのものというより、物質・エネルギー・情報が作る安定したパターンとして捉えられる
- 観測者としての「私」は宇宙の外にいるのではなく、宇宙の中で形成された物理・情報処理システムであり、観測とは宇宙の一部が別の部分から情報を取得する過程
まだ言葉になっていないこと
- 時間は宇宙の基本要素なのか、それとも量子状態の変化や相関から創発するのか
- デコヒーレンスだけで「一つの現実」が説明できるのか
- 宇宙全体を量子状態として考えたとき、「観測者」と「観測対象」を分ける意味は何なのか
- 生物や「私」も、物体と同じような安定したパターンとして理解できるのか
関連ノート
- 【量子力学】消えたのではなく、広がっていた — 同じ朝、インフォグラフィックを作ったあとに続けて考えた回。もつれ・デコヒーレンスの基本を整理したところから、今回は「もつれはいつ生まれるのか」「私とは何か」という問いへ進んだ
- 【量子力学】変わったのではなく、隠れていた — 量子もつれと量子消しゴムを深掘りした回
- 【量子力学】経路が残るかどうか、それだけ — 二重スリットと経路情報についての最初の気づきの回
元の対話
- 量子もつれ・デコヒーレンスから「現実とは何か」へ