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Personal Notes

まとまったことと、
まだ答えの出ていないこと。

どう生きるか、どう決めるか、人とどう関わるか。 考えていることを書きためるうちに、少しずつ形になってきたものがあります。 同じだけ、まだ答えの出ていない問いも残りました。その両方を並べています。

自分を知る

自分のことは、自分がいちばん見えていない。


その言葉は、もともと自分の中にあった

尊敬する人の言葉のつもりだったが、出てきたのは自分の内側からだった。

迷ったとき、尊敬する人ならどう言うだろうと考えてみる。すると答えが出てくる。けれどよく考えると、その言葉はその人が言ったものではない。自分の中にあったものが、その人の姿を借りて出てきただけだった。

この方法で自分を眺めてみると、輪郭が見えてきました。

  • 好きなこと — 学ぶ/整理する/言語化する/体系化する
  • 幸せを感じること — 人との出会い/新しい体験/素敵な人との交流
  • 嬉しいこと — 感謝される/人の役に立つ/成長を認めてもらう

話しながら、自分の考えを知る

人との対話は、自分自身を理解するための手段でもある。

人と話していると、自分でも知らなかった考えが口から出てくることがあります。対話は情報を交換する場であると同時に、自分の考えを整理し、気づいていなかった価値観を見つける手段でもある。

経営者と話していて、ひとつ仮説が生まれました。会社のビジョンは、その経営者が人生で実現したいことの投影ではないか。会社という形をとっているだけで、根にあるのは個人の人生観なのかもしれません。

だから、意識して人に会いに行くようにしています。勉強会、異業種交流会、ただの散歩。自分を知るために、外に出る。

危険にではなく、未知に惹かれていた

「危険なことをする」のではなく、「安全な範囲で未知のものに触れる」。

刺激を求めているのだと思っていました。でも整理してみると、惹かれていたのは危険そのものではなく、まだ知らないものでした。

非日常には段階があります。日常の小さな変化から、新しい場所・人・趣味、旅行や冒険、そして強いスリルまで。同じ「非日常」という言葉でも、求めているものは段によってまったく違う。

安全に管理されたスリルと、コントロールできない現実の危険は、分けて考える。そのうえで、初めての店に入る、いつもと違う道を歩く——その程度のことでも、非日常は増やせます。

どう決めるか

正しさより、続けられるかどうかで決めている。


発見するのではなく、作っていく

人生の意味は「発見するもの」ではなく、生きながら自分で作っていくもの。

どこかに正解が埋まっていて、それを探し当てるものだと思っていました。いまは、そうではないと思っています。意味は見つけるものではなく、生きながら作っていくもの。

だから判断に迷ったときは、「どちらのほうが楽しいか」に戻ります。ただし前提があって、他人を傷つけない、将来の自分を極端に苦しめない、最低限の責任は果たす。その枠の中での話です。

ここでいう楽しさは、単純な快楽だけを指していません。新しい体験も、人とのつながりも、誰かの役に立つことも含んでいます。

いかに楽しむかが勝負

いくら悩んでも、それ自体には何のメリットもない。だったら、いかに楽しむかが勝負。

努力を努力としてやらない。「やりたい」「面白い」に変換できれば、努力は努力でなくなります。

困難にぶつかったときは、三つ自分に問うことにしています。これは本当にやるべきことか。どうすればもっと楽しくできるか。今回の攻略条件は何か。

「努力できる人」より、「努力が必要なことすら楽しめる状態を作れる人」のほうが強いのかもしれない。不必要な苦痛を減らすことと、今を楽しむことは、矛盾しません。

誰に考えてもらうかを、自分で考える

「自分ですべて考える」のではなく、「誰に考えてもらうかを自分で考える」。

すべてを自分で判断しようとすると、どこかで限界が来ます。だからといって人任せにするのとも違う。誰に考えてもらうかを自分で決める——そこだけは手放さない、という立ち位置です。

では、誰に任せるのか。見るところを三つに絞りました。

  • 実績 — 長期間にわたって成果を出しているか。一時的な成功ではないか
  • 考え方 — 理論的に説明できるか。根拠が明確か
  • 一貫性 — 過去と現在で主張が矛盾していないか。都合の悪い結果を隠していないか

人とどう関わるか

伝え方は、言葉だけではない。


少しだけ、一緒に冒険する

単なる「消費」ではなく、人生の思い出を買うような感覚に近い。

誰かの挑戦を応援するとき、お金や時間を使っている感覚はあまりありません。近いのは、思い出を買っているという感覚です。

そしてそこには循環があります。応援する。共有している感覚が生まれる。思い出になる。自分への刺激になる。新しい挑戦につながる。一周して自分に返ってくる。

いつか、と思っているうちに

「いつか話そう」と思っているうちに、話せなくなる可能性もある。

言葉で伝えるのが得意ではありません。長く一緒にいる相手ほど、かえって難しい。

それでも、伝える手段は言葉だけではないと気づきました。一緒に食事をする。差し入れをする。何かを手伝う。顔を見せる。一言だけ声をかける。同じ場所で、ただ一緒に過ごす。

うまく話せないことを理由に、何もしないでいる必要はない。そう思えるようになりました。

自分で選ぶ

「自分らしさ」を探すより、自分の感覚から選び直す。


自分の判断と、自分の言葉で

自分の人生を、自分の判断と自分の言葉で生きる。

目の前のことを自然に「やりたい」と思えているとき、そして自分の言葉で話せているとき、いちばん深く没頭できることに気づきました。「やらなければ」ではなく「やりたい」。「正しいことを言わなければ」ではなく「自分はこう思う」と言える。そのときは、自分と行為の境界が少し薄くなります。

自分らしく生きることは、他人と違うことではないのだと思います。本当はこう思っているのに立場上は別のことを言う、という内側と外側のずれを小さくしていくこと。社会の「こうあるべき」をそのまま受け取るのではなく、一度自分の中で問い直し、納得できたものを自分で採用することです。

  • 小さな問いから始める — 「本当はどうしたい?」を、日常の小さな選択で確かめる
  • 「べき」を再審査する — そう思う理由と、自分も本当にそう思うかを分けて考える
  • 自分の言葉で話す — 「一般的には」より先に、「自分はこう思う」を置いてみる

まだ答えが出ていない

ここから先は、まだ考えている途中のものです。結論に変えるつもりはなく、問いのまま置いておきます。

生きることについて

自分について

人と、仕事と